落ち着いて、改めて考えてみた。

普通に考えると、他人様の私生活に勝手に足突っ込むなんて非常識極まりなくて。
でも、生きている世界のことを考えると、「う〜ん」と考え込んでしまう。
や、もちろん“全部見せますよー”的な発言はだっれもしてないんですけども。*1
「ある程度」は“しょーがない”で済ませられてしまう部分って、あるんですよね。


それって、やっぱり「差別」なのかな。
差別とは、見下して蔑む的なことらしいです。大学の教授曰く。
本来、もっとおっきい目で見たときに使えばいいのかもしれないけれど、これもやっぱ一種の差別なのかもしれないと思えてきました。


彼が二十歳になる前に言った「しゃーない」が、今も、同じなのだとしたら、
ちょっと悲しいですよねぇ。。所詮、変わらない世界なのやも。。。
でも、“輝ける世界”でもあるから、い続けて欲しいのも事実なのですが。
これは、個人的な願いです。。。見たさ故の・・・・ね。

*1:むしろ、そんな事言う人探す方が困難