『森山未來』という人

何度も言うけど、やっぱり彼には「生」で輝いていて欲しい。
 ブラウン管やフィルムを通しての『森山未來
 舞台やダンスライブでの『森山未來
私が本当に間近で彼を知ることになったのは舞台だから、そう見えるのかもしれない。TVや映画は同じカットを何回も撮り直すし、シーンも段階を踏んで撮るものではない。ラストシーンを一番始めに撮ることもあるし、同じシーンを何回も別の角度から撮影したりしたりする。
 「生」にはそれがない。
気分の高鳴りも順序を踏むし、動作も回数を重ねるごとにより良いものが生まれる。何より、見ている観客も演者もその瞬間・その感情・その表情は一生に一度しか訪れないものだ。感じられることは限られるけれど、一生モノの出会いをする事だってある。彼は八ヶ月間、「生」で過ごした。時には落ちこんでどうしようもない演技をしてしまったかもしれない。時には感情を剥き出しにしすぎて素が出てしまったかもしれない。でも、それが森山未來』のすべてなのである。



 彼はそれらを、楽しんでいる。感謝している。挑戦している。変化している。
 前に、進んでいる。
 時には立ち止まり、振り返る。
 けれど、また未来に向かって進んでいく。
 『森山未來』って、そんな人ですよね。
 大丈夫。彼は、大丈夫。なぜだか、そう自分に言い聞かせてしまいます。
 だから、尊敬してるし、追い続けて生きたいんです。





 日記の最後をやけに私生活風に締めくくったのは、彼の気持ちに区切りがついた。という事を表してるんじゃないかなぁと。個人的な解釈ですけど。ファンを安心させたいって気持ちも見え隠れするような。人間と人間の付き合い方をきちんと知っているから、彼は。
 日常生活と言う時計の針が、たぶん短い間だけだけど、時を刻み始めたんではないでしょうか。若干の笑いも含みながら(^-^)



 負けてなんかいられない。わたしも、